都議会意見2 1998年第1回定例会(3月4日)
1998年3月4日第1回定例会(第3号)
桜井武(自由民主党)
「次に、平和祈念館の建設に関連して、都の考え方についてお伺いいたします。
都が東京都平和祈念館の建設について検討を始めたのは、平成四年一月の東京都平和の日記念行事企画検討委員会から、平和記念館の整備を検討すべきとの提案がなされたときからであります。その後、都は、平成四年六月に、東京都平和記念館基本構想懇談会を設置いたしました。平成四年八月には、戦災者平和記念碑建立の会から、十一万五千人余の署名を添えて、内閣総理大臣と東京都知事あてに、東京空襲犠牲者十万人余の霊を祭る東京都戦災者平和記念碑を建立されたい旨の要望が出されました。
平成五年六月には、懇談会から報告がなされ、平和祈念館の基本的な性格は、東京空襲の犠牲者を悼み、都民の戦争体験を継承すること、平和を学び考えること、東京の平和のシンボルとすること、平和に関する情報のセンターとすることにあるとされました。
私はこの基本的な性格に賛成するものですが、基本構想懇談会の議事録を読みますと、平和祈念館は、何よりもまず東京大空襲の犠牲者の慰霊、鎮魂を重視すべきという委員の皆様の共通の認識であったと思います。私も、平和祈念館建設の出発点は、東京空襲で亡くなられた方々の慰霊、鎮魂であると思うのであります。
ところが、現在、検討のたたき台となっています展示基本設計案を見ると、東京空襲犠牲者を悼むという視点が非常に薄れてきているような気がいたします。
ところで、建設予定地である墨田区は、関東大震災と東京大空襲という二度の大きな被害を受けた地区でございます。特に関東大震災では、横網町公園周辺で多くの方が亡くなられ、その方々を慰霊するという観点から、震災記念堂と復興記念館が建てられたところでございます。東京大空襲では十万人余の方々が亡くなられ、震災記念堂の納骨堂に東京空襲で亡くなられた方々のお骨が納められ、昭和二十六年には、震災記念堂の名称を東京都慰霊堂に改めたという経緯があります。その意味で、平和祈念館の展示内容については、空襲犠牲者を悼むという視点が何よりも大切だと思います。私も、戦争は二度と起こってはならないし、平和な世界の実現を期待しておりますが、戦後五十年という歳月は、いまだ歴史になっていないという思いがするのであります。
そこでお伺いいたします。まず初めに、平和祈念館の展示は、平和の大切さを伝えることはもとよりでございますけれども、東京空襲の悲惨さを伝え、また、空襲犠牲者を悼むという点を重視する方向で作成すべきと考えますが、いかがでしょうか。
次に、平和のモニュメントについてであります。
先ほど私が述べた戦災者平和記念碑建立の要望に対し、東京都は、平和のモニュメントを建設することで対応したいと答えております。しかし、平和記念館基本構想懇談会報告を見ますと、平和のモニュメントは、東京空襲の犠牲者を追悼し、同時にさきの大戦中の世界の戦争犠牲者を悼むものでありたいと考えます、また、このモニュメントは、二十一世紀に向けた都民の平和への願いを世界に訴えるものとする必要があり、平和を祈念する像や塔などが考えられます、と記載されております。
そこでお伺いいたします。このように多くの目的を持ったモニュメントを制作するのではなく、東京都の平和のモニュメントは、東京空襲犠牲者を追悼するものとし、そのモニュメントは地上に建立すべきと考えますが、いかがでしょうか。
次に、平和祈念館の建設が予定されている都立横網町公園の樹木についてでございます。樹齢七十年から八十年という貴重なものもあり、建設予定区域内には百五十本程度の樹木があり、建設工事の際には、その三分の一程度は移植が必要とされております。
そこで質問します。樹木についてはどのような保全対策を講ずるのか、見解を伺います。」
出典 東京都議会 会議録
平成10年_第1回定例会(第3号) 本文 1998-03-04(33)
[説明]
都議会意見1の説明を参照
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