建築の複合施設案

東京都平和祈念館と復興記念館の「複合施設」案
出典 第6回東京都平和祈念館(仮称)建設委員会 配布資料(1997年6月2日)
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 東京都平和祈念館の建設候補地は、『東京都平和祈念館(仮称)基本計画』(1994年5月)では「中央区佃二丁目の大川端地区、文化・商業等施設用地(2.6ha)の一部」とされていた。その後、財政難を背景に「都有地の活用」に変更され、1996年6月27日、第2回東京都平和祈念館(仮称)建設委員会で、建設場所は「東京都横網町公園」と決定された。

 同年11月8日、これを受けて、同じ公園内の復興記念館(関東大震災の展示施設、1931年建設)を建て替えた上で両施設を「合築」する案が決定された(第3回建設委員会)。

 性格の異なる施設を「合築」する案には、建築の専門家や市民から見直しを求める声が寄せられた。

 そこで、1997年6月2日、建設区域を拡大し、両施設の「目的と性格を尊重」しながら、地下施設でつながり「建築機能的には同一建物」とする「複合施設」案が提案され、決定された(第6回建設委員会、建築部会部会長 藤森照信)。

東京都平和祈念館アーカイブズ Tokyo Peace Museum Archives

5月1日、原爆の図丸木美術館で展示「特別企画 藤井光 爆撃の記録」が始まりました。 「爆撃の記録」は、1999年に計画を「凍結」された東京大空襲の博物館「東京都平和祈念館」を題材に、記憶を受け継ぐことの困難と可能性を問いかける作品です。本サイトでは、作品の背景である「東京都平和祈念館」に関する資料と、作品をめぐる反応を、会期中限定でアップします。 写真:旧江戸湊から佃、隅田川河口方面を見る